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『ジャンヌ・ダルクの生涯』藤本 ひとみ

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コバルトでおなじみだった藤本ひとみさんのエッセイ。

実は3日ほど、某大学教授が書いた、ハプスブルク家の何某という本を読んでいたが、理解ができなかった。
歴史なんて理解するようなものではない、
「●●1世は神聖ローマ皇帝になって、●●をした、以上」
がまったくわからない本だった。
神聖ローマ皇帝になった初代ルドルフはいい年で、無能そうだったため、皇帝に選出された。
そんなのは高校の教科書に載ってるし。

私の頭がおかしいのか、某大学教授の文章が意味不明なのか(資料に基づいた歴史書ではなく、エッセイ風の本)
ドイツは置いておいて、懸案だったフランスを読んでみることにした。
ジャンヌ・ダルクについてのエッセイである。
支障なく完読。

さて、フランスというのは、カルロス1世のスペインとは違って、ゴチャゴチャした国だ。
中世自体がゴチャゴチャしているのか。
こういう場合は、有名人から時代を見ていくしかない。

時代はシャルル6世亡き後、シャルル7世が即位するころ。
シャルル6世の王妃は「イザボー・ドゥ・バヴィエール」、バイエルン侯爵の娘だ。
イザボーはあだ名で、本名はイザベルだが、非常に評判が悪かった王妃だ。

イサボーは、シャルル6世が発狂すると、
・彼の叔父のブルゴーニュ公爵と懇ろになる。
・ブルゴーニュ公爵亡き後、彼のライバルであり、シャルル6世の弟でもあるオルレアン公爵と懇ろになる。
・自分の保身のために王太子シャルルは不義密通の私生児だと言い出す。
・王弟オルレアン公爵の死後は、彼のライバルブルゴーニュ公ジャン・サン・ブールに身を寄せる。
(この人はイギリスと同盟を組もうとして、和睦交渉の際に、王太子側に暗殺された?)
・彼の死後、息子のブルゴーニュ公フィリップ・ル・ボンに身を寄せる。
(この人が1420年にイギリスとトロワ条約を締結し、王妃の娘カトリーヌとイギリス王ヘンリー5世を結婚させ、
 生まれた子供をフランス王にすると約束する、この息子がヘンリー6世)

シャルル6世とヘンリー5世が死亡したことにより、イギリス側は1歳未満のヘンリー6世がイギリスとフランスの王と主張。
王太子シャルルもフランス王を名乗って2人のフランス国王ができた。
で、シャルルをフランス王にするために現れたのが、ジャンヌ・ダルクだった。
1429年、ジャンヌのおかげで、シャルル7世は誕生した。

1492年コロンブスの新大陸発見の60年前。
1467年応仁の乱
つまり、室町幕府がそろそろ傾きかけたころに、シャルル7世は誕生した。
ああ、スッキリした。




by sapporo-dokusho | 2017-10-22 20:31 | 世界